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岐阜地方裁判所 平成3年(ワ)453号 判決 1992年6月08日

原告 松野幸

右訴訟代理人弁護士 浦田益之

同 武藤壽

被告 乙山開発株式会社

右代表者監査役 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 小出良熙

主文

一  原告が被告の取締役の地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、原告についてなした岐阜地方法務局平成三年六月二八日受付第三一六九号取締役辞任登記の抹消登記手続をせよ。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

主文同旨

第二事案の概要

本件は、被告の取締役であった原告が、かつて同人が被告の代表取締役に対して行った取締役を辞任する旨の意思表示につき、右意思表示は右代表取締役の強迫に基づくものであるから取り消したとして、原告が被告の取締役の地位にあることの確認及び被告が行った原告の辞任登記の抹消登記手続を請求している事案である。

一  争いのない事実等

1  被告は、昭和六〇年七月一九日、ゴルフ場の経営等を目的として設立された会社であり、岐阜県山県郡高富町において岐阜国際カントリー倶楽部(以下「本件ゴルフクラブ」という。)を経営している。原告は、平成三年三月当時、原告の取締役であり、かつ本件ゴルフクラブの理事長であった(争いがない)。

2  平成三年三月当時の被告の取締役は、原告をはじめ、被告代表取締役の甲野春夫(以下「春夫」という。)、訴外大野春一(以下「大野」という。)及び訴外甲野一郎(以下「一郎」という。)の四名であったが、実質上被告の経営に従事していた春夫と一郎との間には、かねてから会社経営のあり方ないし被告の主導権の確保をめぐって対立抗争があり、右対立は、平成元年一〇月一九日、被告が額面株式三〇〇〇株の新株を発行したのに対して、一郎が新株発行無効の訴えを岐阜地方裁判所に提起したことで頂点に達した(争いがない。)。

3  そして、一郎は被告に対し、平成三年三月一二日、春夫の代表取締役辞任要求もしくは解任決議及び新代表取締役の選任を議案とする取締役会の開催を請求したが、被告が期限内に取締役会招集通知を発しなかったため、さらに、同月二二日、一郎が自己の権限において開催日時を同月三〇日午前一〇時とする取締役会の招集通知を発送した。

これに対して、春夫は、右同人の解任要求等を議案とする一郎の取締役会の招集に対抗するために、自らも開催日時を同じくする別の取締役会を招集した(争いがない)。

4  右取締役会(以下「本件取締役会」という。)を前日に控えた同月二九日午後一一時過ぎころ、春夫が予告もせずに、原告宅の門扉を乗り越えて原告宅の敷地内に入り、原告に対して面会を求めた(争いがない。)。

5  その際、原告は被告に対し、「一身上の都合により被告の取締役を辞任する」旨の同月三〇日付辞任届を手渡した(争いがない。)。

6  原告は、被告に対し、同年六月一四日、内容証明郵便をもって、右辞任届の提出は強迫に基づくものであるから取り消す旨の意思表示をし、右書面は同月一五日ころ被告に到達した(争いがない)。

7  被告は、同月二八日、原告の取締役辞任登記手続(岐阜地方法務局平成三年六月二八日受付第三一六九号、以下「本件辞任登記」という。)を完了した(争いがない)。

二  争点

原告の取締役辞任の意思表示に関する春夫の強迫行為の存否及び右強迫行為と原告の辞任の意思表示との因果関係。

(原告の主張)

春夫が深夜原告宅に侵入して「あんたに辞めてもらわんとおやじが承知せん。」「おやじが出刃包丁を振り回してどうしてもきかん。」などと原告を強迫したので、原告は、当時息子が立候補していた県議会議員選挙の選挙運動を春夫らに妨害されることなどを恐れ、やむなく、別の目的で作成していた取締役辞任届を春夫に交付したものである。

(被告の主張)

春夫の原告宅への訪問の目的は、その翌日の取締役会において春夫が解任されないように原告の協力を求めることであって、原告に辞任を迫ることではなかった。したがって、原告が主張するような原告の辞任を目的とした強迫行為は存在しない。

また、原告が春夫に対して辞任届を提出したのは、会社紛争の両当事者から協力を依頼されて板挟みになった原告が、翌日の取締役会に提出するつもりで既に作成していた辞任届をその機会に春夫に交付したものに過ぎない。

第三争点に対する判断

一  《証拠省略》によれば、次の事実が認められ(る)。《証拠判断省略》

1(当事者らの関係)

(一)  被告の取締役のうち原告を除く三名は互いに従兄弟の関係にあり、被告は同族会社的性質を持つ会社であった。

(二)  一方、原告はかつて岐阜県知事を二期務め、その後、衆議院議員八期及び国務大臣を務めたこともある地元の有力政治家である。そして、春夫の父である訴外甲野松夫(以下「松夫」という。)は原告とは古くからの知り合いであって、原告の政治団体である「松野後援会」の支部長を務めたこともあり、また、春夫夫妻の仲人は原告であるなど、原告と春夫親子とは親密な関係にあった。

2(被告内部の対立抗争と本件取締役会の招集に至る経緯)

(一)  原告と大野はもともと被告の非常勤取締役であったので、会社の経営は代表取締役である春夫らに任せていたが、原告らはかねてより春夫の経営能力には疑問を持っていた。

(二)  しかし、春夫と一郎との会社支配をめぐる対立が激化している最中の平成二年九月ころ、原告は、一郎が大阪のゴルフ場開発業者である訴外ニチゴ株式会社(以下「ニチゴ」という。)に接近していることを知り、被告がニチゴに支配されることを危惧したので、大野とともに春夫を積極的に支援することとした。その後、三人で会社経営についての善後策を相談したが、その結果、一郎に対してニチゴの支援を受けないように説得することになり、原告らは右一郎の説得を春夫に任せていた。

(三)  ところが、その後、原告と春夫との連絡が途絶えたので、原告が不審に思い調査したところ、同月下旬ころ、春夫は一郎とともにニチゴが経営する青森のゴルフ場に滞在していたばかりか、同年一〇月下旬には、春夫が被告の社長として同社に留まることを条件に、ニチゴが被告の経営に加わり、さらに原告や大野を被告から排除する旨の話合いをしていたことを知り、原告と大野は春夫に対して不信感を強めた。

(四)  そこで、原告と大野は春夫に対する支援を打ち切り、翌年の平成三年一月ころから、同人に対して、代表取締役を交代するように再三忠告した。しかし、春夫は右忠告に応じようとはしなかった。

(五)  一方、一度は歩み寄るかにみえた春夫と一郎であったが、その後、両者の話合いが決裂し、結局、一郎は春夫を解任すべく本件取締役会の開催請求を行った。

(六)  原告及び大野としては、敵対している一郎による春夫の解任請求に呼応するつもりはなかったが、本件取締役会において春夫が代表取締役を辞任しない場合には、その場で二人で辞表を提出することにより株式総会で役員の選任をやり直させようと考えて、同年三月二〇日ころ、あらかじめ同月三〇日付の辞表を各自作成していた。

3(当時の原告を取り巻く状況)

(一)  ところで、前述のように、原告は元衆議院議員で国務大臣の経験もある政治家であるが、原告の妻もまた、長年穂積町長を務めた政治家であり、さらに、原告の子である訴外松野幸昭(以下(幸昭」という。)は、平成三年三月二九日告示の岐阜県議会議員選挙に立候補するなど、松野家はいわゆる政治家一族であった。

(二)  しかし、原告自身既に衆議院議員を引退し、また、妻も穂積町開発公社の不正疑惑事件によって引責辞任しているばかりか、幸昭は以前衆議院議員選挙で惨敗しており、しかも、今回の選挙では、幸昭の立候補した本巣郡区は定員二名のところ三名の立候補者があって、新聞でも報道されるような激戦区であり、原告としては、政治家一族としての松野家の命運を賭けて幸昭の県議会議員選挙に全力を傾注しなければならない状況にあった。

4(平成三年三月二九日の状況)

(一)  平成三年三月二九日は、同日告示の県議会議員選挙における幸昭の出陣式が行われ、春夫及び松夫も関係者として右出陣式に出席していた。

(二)  その夜、午後一一時四〇分ころ、春夫が何ら事前の連絡もせずに突然原告宅を訪問し、家人が既に就寝していて門扉を開けてもらえないと知るや、高さ約一・八メートルの鉄の門扉を乗り越えて、原告宅に侵入した。

(三)  そして、春夫は大声で原告を呼んで就寝中の原告を起こし、原告が近所に聞こえるのを気遣って玄関を開け春夫を応接間に通すと、春夫は突然原告に取締役の辞任を迫り、「あんたにやめてもらわんとおやじが出刃包丁を振り回してどうしてもきかんで今日ここで辞表をくれ。」「何としても辞表をもらって帰らんとおやじが暴れてきかん。」と大声を出し、原告が辞表を提出しない限り退去しない姿勢を見せた。

(四)  そのとき、原告は、幸昭の県議会議員選挙の告示の矢先でもあり、また、以前、松夫が春夫と一郎の対立抗争中に一郎の経営する喫茶店に乱入して「おれを殺せ。」と叫んで営業を妨害したとの噂を聞いていたことから、本当に松夫が原告宅もしくは幸昭の選挙事務所に暴れ込むかも知れないと思い、そうなれば、幸昭の選挙に悪影響を及ぼし、その結果、先の衆議院議員選挙と同様に幸昭が惨敗しかねないと危惧し、やむなく、春夫を辞任させる目的で大野とともに作成していた辞表をその場で春夫に手渡した。すると、春夫はそれを受領するやすぐに引き揚げた。

5(その後の状況)

(一)  原告は、その翌日である平成三年三月三〇日の午前中、大野に連絡をとり、春夫に辞表を提出した経緯を話したところ、それでは大野も本件取締役会において辞表を提出するということになった。そこで、同日開催された被告の取締役会において、大野が春夫に対し、あらかじめ作成していた辞表を提出したが、春夫は右辞表の受領を拒否した。そして、結局、春夫は本件取締役会において解任されることもなく、右取締役会は終了した。

(二)  そこで、原告は幸昭の選挙が終了した後に、春夫に対して、再三にわたって原告が提出した辞表の返還を要求したが、春夫は右要求を無視し続けた。

(三)  その後、同年六月一四日に開催された被告の株主懇談会の席上、原告が改めて春夫に対して辞表の返還を求めたが、春夫は言を左右にしてこれに応じなかったので、原告は、やむなく、同日帰宅後、前述の内容証明郵便を被告に送付した。

二  右認定事実によれば、次のとおり判断することができる。

1  強迫行為の存否について

前記認定のとおり、平成三年三月二九日深夜、春夫が、何ら予告もせずに門扉を乗り越えて原告宅に侵入して原告に対して辞任を迫り、「あんたにやめてもらわんとおやじが出刃包丁を振り回してどうしてもきかんで今日ここで辞表をくれ。」「何としても辞表をもらって帰らんとおやじが暴れてきかん。」などと大声で述べたことが認められるが、右言動が、はたして原告に辞任の意思表示を決意させる程度の害悪の告知と言えるかが問題となる。

この点、確かに被告も主張するように、春夫の言葉は、原告が辞表を提出しないと松夫が暴れるということであって、松夫が直接原告に危害を加えあるいは幸昭の選挙運動を妨害するというものではないが、春夫は深夜に何ら予告もせずに門扉を乗り越えて原告宅に侵入し、就寝中の原告を起こして同人に対し辞任を迫っていること、その日は幸昭の県議会議員選挙の告示の日であり、幸昭の出陣式が開催され、春夫らは右出陣式に出席しており、原告にとって右選挙がいかに重要な選挙であるかを熟知していたことなどの諸事情を総合考慮すると、春夫の原告に対する右言動は、原告が辞表を提出しなければ、松夫が幸昭の選挙を妨害することもありうることを暗黙に示すものと認めるのが相当である。したがって、右春夫の言動は原告に対する強迫行為に該当するというべきである。

なお、被告は、春夫が原告宅を訪問したのは、翌日の取締役会で春夫が解任されないように協力を依頼することが目的であって、原告に辞任を要求した事実もなければ強迫行為も存しない旨主張するが、深夜何ら事前の連絡もせずに、しかも門扉を乗り越えて敷地内に侵入し、就寝中の者を起こしてまで話合いを要求するという態度は、到底他人に協力を依頼する者の行動とは思われないばかりか、仮に春夫が原告に協力を依頼に行っただけならば、なぜ原告がその場で辞表を提出し、春夫が右辞表を受領して引き揚げたのか全く説明がつかないし、しかも原告と大野がそれ以前から春夫に対して辞任を要求していたという事実をも考慮すれば、春夫の原告宅の侵入の目的は原告に辞任を迫り翌日の取締役会を流会にすることによって自己の保身を謀ることにあったものと認めるのが相当である。

2  因果関係について

次に、右春夫の強迫行為によって、原告が畏怖し、その結果、春夫に辞表を提出したかどうかについて検討するに、前記認定の事実のとおり、原告が右強迫行為によって、松夫が原告に直接に危害を加えあるいは幸昭の選挙を妨害するかも知れないと畏怖し、その結果、幸昭の選挙を妨害されることを恐れて、春夫の要求に応じて、同人に別の目的で作成していた辞表を提出したと認められるから、強迫行為、原告の畏怖及び辞表の提出行為の間には因果関係が存するものと認められる。

なお、被告は、原告が辞表を提出した理由は、会社紛争の両当事者から協力を依頼されて板挟みになった原告が、翌日の取締役会に提出するつもりで既に作成していた辞任届を春夫に交付したものである旨主張するが、本件全証拠に照らしても、原告がニチゴあるいは一郎からも協力を依頼されており、その結果板挟みになって悩んでいたとの事実を求めることはできず、また、他に原告が春夫に本件取締役会以前に辞表を提出する動機は考えられないから、右被告の主張は採用の限りではない。

3  辞任登記の抹消登記手続請求の可否

ところで、原告は被告に対し、取締役の辞任登記の抹消登記手続を求めているので、次にその可否について判断する。

本件のような商業登記について登記手続請求権が認められるか否かについては争いがある。商業登記法上の商業登記については、官庁の嘱託又は職権による場合を除くのほか、原則として会社が国家に対する義務として単独で申請すべきものであり(商業登記法一四条、一一〇条)、不動産登記法上の不動産登記とは異なり共同申請主義を採用していないため、そもそも登記権利者・登記義務者という観念がない。したがって、実体的法律関係とは異なる商業登記が存在したとしても、右理由をもって当然に第三者に抹消登記請求権があると解することはできない。

しかしながら、自己の実体的地位と異なる商業登記が残存している会社の役員については、会社に対し、右実体的地位と異なる商業登記簿の役員欄の抹消登記手続請求権を有するものというべきである。なぜなら、商業登記簿の役員欄は現在の役員構成を公示するとともに、過去の役員の就任、退任及び辞任等の経過をも公示するものであるから、会社が任意に実体とは異なる商業登記の抹消登記手続をせず、かつ登記所の職権による登記も期待できない場合において、役員自身が直接登記所にその旨の登記を申請する権利を有しないとして実体と異なる商業登記の残存をいつまでも放置しておくことは条理に反すると考えられるからである。

したがって、本件の場合も、原告の辞任の意思表示が強迫により取り消された以上、原告は遡って辞任していないことになり、本件辞任登記は原告の実体的地位と異なる登記と言わざるを得ないから、原告は被告に対し、右辞任登記の抹消登記手続請求権を有するものというべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川端浩 裁判官 青山邦夫 東海林保)

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